危迫。

怒濤の追い込み終了。
なんとか〆切には間に合ったものの、
結果はどうなるか・・・
とにかく一段落ということで、
実家でホッと一息。
明日には帰札です。

旅に出たい今日この頃。



10:26フランクフルト発RE3306。
10:58マインツ着。ジャンクフードを食べながら川沿いを歩く。
13:20マインツ発IC2112。
15:05ケルン着。

列車から見ても迫力十分だったが、
駅を出るとその存在感に圧倒され、息を呑む。


ケルン大聖堂ゴシック建築の中でも現存する最大規模で、
1880年の完成まで600年以上費やされているという。
そんな情報抜きに、空間の重さを感じた。
この空間では悪い事は出来ないんじゃないかと、
悪い事した途端にこの世から消されそうな、
そんな重さ、厳しさを感じた。


宗教建築と括られるものには、必ず信仰の場が存在する。
この聖堂も現役である。
信仰の場は単なる人が集まる場とは決定的に異なる点を持つ。
人と神が繋がる場が計画されているのだ。
そもそも人の存在を定義する必要があるかもしれないが、
神が人より絶対的な存在であるならば、
信仰の場をつくる人間は自らの聖域に対して、
並々ならぬ心血を注いだに違いない。
自らを救済してもらうための場なのだから。
徹底的に時間とお金と労働力を注ぎ込んででも、
そうした場を必要としたのだと思う。


現在は現役であっても、礼拝にくる人々を大きく上回る観光客が押し寄せる。
もちろん自分もその一人だが。
世界遺産だけあって、多国籍地帯と化していた。
509段に及ぶ螺旋階段を昇りながらも壁面からその事実を確認できる。
体力的なキツさよりもフラストレーションが溜まっていく。
無数の落書き。
書いた本人にとっては記念なのかもしれない。


熱心に祈りを捧げているのも
平気で落書きするのも
人間である