目前。



扇風機の風が心地よい札幌の夜。


留学へ向けて


決まったこと・・・
24日に実家へ。
8月10日に東京へ。
チューリッヒ設計事務所での雇用。


もうすぐ決まること・・・
出国日。


まだ決まってないこと・・・
現地の住居。


出国までにやることは多々あるが、
地道に一つ一つ乗り越えて行くしかない。


旅の手帖もそろそろ終着点。








ギリシャ入国以来、晴天が続く。


9:00YH発。


早速アクロポリスへ向かう。
遺跡群の大理石が白く眩しい。


パルテノン神殿


この旅の目的地に辿り着いた。
紀元前に想いを馳せる。
ドリス式の列柱は、
中央に膨らみがあり、
上部は徐々に細くなっている。
20本の溝が彫られ、陰影が美しい。


装飾的な要素よりも、
これを実現させた技術力に圧倒。


周囲を見渡すと、
遺跡があちこちに見られたが、
予想以上に都市化が進んでいた。
これまで、旅先では展望台や山から街を見下ろしてきたが、
アテネの街は遺跡群を除いて、
それほど魅力を感じることが出来なかった。


目に留まった遺跡や博物館を巡る・・・


ゼウス神殿
アゴ
柱廊博物館
国立考古学博物館
リカヴィトスの丘


ゼウス神殿やアゴラで見られた、
倒れたままの柱は見応えがあった。


忠実に復元した姿を見せるか、
朽ちても当時の状態を残すか。


脂っこい夕食を済ませ、再びパルテノンへ。
周囲に高層ビルが無いため、
ライトアップされた神殿が映える。


20:00YH着。


今回の旅の終着地としていたため、
1日多く時間を取っていたが、
予想以上にアテネの街はコンパクトで、
オリンピックに合わせて交通機関も便利になったので、
時間が余ってしまった。
街歩きをするにはあまり魅力を感じられない。


パルテノンでクライマックスを迎えたはずだったが、
ギリシャらしい風景を求めて、
残りの1日は少し遠出をすることにした。



自由気侭な旅もあと僅か。

緩化。


やっと札幌も暖かくなってきた模様。
雨に流され、
路肩に溜まった桜の花びらが見頃。








12:10パトラ着。


フェリーターミナルから駅までの道がわからず、
駐車場に停まっていたタクシーの運転手に聞く。
(こういう場合はターミナルの従業員か他の乗客に聞くべきだったと思うが)
「近いから乗ってけ」ということで、乗車。
車内で最終目的地を聞かれアテネと答えると、
アテネまで乗ってけ」ということで、全力拒否。
運転手はとても残念そうだった。
タクシーで4時間&500ユーロで行けるらしい。


そうこうしてるうちに、パトラ駅に到着。
ほんとにあっという間だった。
10分も乗ってなかった気がする。


降車すると、目の前にフェリーが見えた・・・
徒歩でも10分くらいの場所に駅はあった・・・


15ユーロを無駄にしたが、
無事ギリシャに入国したことで気分は上々。
天気も良く、アテネ行きの発車までパトラを街歩き。


ローマ期からイタリアとギリシャを結ぶ港町。
港周辺は今も賑わっている印象。
柑橘系の街路樹と青い空が清々しい。


13:55パトラ発。
16:00コリントス着。
16:10コリントス発。
17:30アテネ着。
18:00YH着。


YHで数人の日本人に遭遇。
彼らはトルコから来たようで、
物価の高さに驚いていた。
自分は西から来たので、
物価の安さに驚く。


トルコは東西文化の結節点だが、
ギリシャでも少し近いものを感じた。


明日はいよいよ最終目的地。
「パルテノン」を目指す。

長考。


3月末から4月上旬にかけ、出国。
コペンハーゲンでのワークショップと、
チューリッヒで受け入れ先の教員に挨拶。
現地の日本人留学生にも会うことができた。


間接的な情報に頼るのではなく、
自分の事は自分でやる。
自分で動かなかければ何も始まらない。
甘えちゃいかん。


いろいろと現実味が帯びてきた。
留学が決まってからも、色々なトラブルが発生しているが、
腐ることなく一つ一つ乗り越えるしかない。
もう一息。






再旅もそろそろ終盤・・・


8:30YH発。
10:32ローマ発。
15:10ペスカラ着。
15:44ペスカラ発。
19:05バーリ着。


9時間近く電車に乗り、
車窓をぼんやり眺め、
この旅が徐々に終わりに近づいていることを実感。


これまで出会った人達を思い出し、
これから向かう最終地点へ思いを馳せて。


19:30フェリーターミナル着。
20:00バーリ発。


ユーレイルパス2等券はバーリ→パトラの船も乗れるのだが、
15時間の航行を甲板か廊下で過ごすことになった。
甲板は寒さでせいぜい30分しか身体がもたず、
結局豪華客船の廊下で就寝。


翌朝、乗務員による掃除機の音で目覚めた。
天気は快晴。
ギリシャ入国。
長時間の移動日終了。

不揺。

足掛け3年、ようやく整った。


2011年9月1日より1年間、
連邦工科大学チューリッヒ
(ETH・エーテーハー)の
建築理論研究所
gtaゲーテーアー)へ
留学が決定。


モチベーションの維持がなかなか厳しかった。
様々な出会いが全て繋がっていると強く感じた。
色んな方々にお世話になった。感謝。


もはや行く事が目的ではなく、
行った先で何が出来るか。


7月の出国に向け、
課題は山積。
勝負の年。





旅はローマを駆け抜ける・・・


YHで朝食。
ブラジル人とポルトガル人と同席。
彼らは真剣に自国の歴史を語り始めた。
自国の形成史を理解し、丁寧に伝えていた。

その後、彼らは私に訊ねた。
「日本はいつから日本なんだ?」

日本の歴史に関する知識不足と、
英語で伝える事の困難さを痛感。


9:00YH発。
サン・ピエトロ大聖堂
ヴァチカン美術館
昼食
カラカラ浴場
コロッセオ
パンテオン
夕食
21:00YH着。


そもそも1日で廻ることに無理があった。
朝食時の助言通り、
混んでいない朝からヴァチカンへ。
美術館までは順調に見て廻ったが、
聖堂のドームに昇る階段で長蛇の列。
階段の幅も一人分しかないため、流れが悪い。
ミケランジェロのドームを堪能する間もなく、
予定を1時間押して急ぎカラカラ浴場へ。
浴場内を駆け足で廻る。15分。
(歴史を冒涜する行為だったと思う)


その後、コロッセオへ。
場内を一周して、向かいにあるパルティーノの丘へ。
全力で走ったが、閉門。
夕陽が眩しかったが、冬期間は閉門時間が早い。
コロッセオに再入場する事も出来ず、
どっと疲れた。


夕暮れと同時にパンテオンに入り、
真っ暗になるまでの2時間程度、
ドーム頂部から空を眺めた。


旅の目的を再考。

新進。


謹賀新年。
兎の如く、
高く遠くへ。







8:30YH発。
10:32ヴェネツィア発。
15:10ローマ着。
16:00YH着。


ローマのYHはローマ五輪の選手村の宿舎を使用している。
駅から離れており、設備も老朽化していた。
スーツケースを6人部屋のロッカーに。
鍵がついていなかったため、
今回の旅で初めて南京錠を使用。


ポポロ広場
スペイン階段


19:30YH着。

部屋に戻ると、南京錠が壊されていた。
スーツケースに施錠していたので、
特に何も盗られてはいない。
他の5ロッカーは手を付けられていない。


ルームメイトが来たので、事情を説明。
なんで自分の鍵だけ壊されたのか?
イタリア人は真顔で答えてくれた。


「お前の南京錠だけがダイアル式だから、
高価なモノが入っていると思ったんだろう。」


・・・怪しい。


実に的を得た答えだ。
経験者は語る的な空気を感じ、
彼に警戒感を抱いてしまう。
(この一件以降、南京錠はシンプルなタイプを使うようになる。)


部屋の面子。
イギリス、ドイツ、イタリア、ルーマニア、ブラジル、日本。
旅行目的は自分のみ。
あとは、出張か出稼ぎ。


イタリア人は定住場所が無く、
YHを転々としているとのこと。
彼は私に一言。


「お前はいいよな、旅ができて。」


残り僅かなこの旅の、
瞬間瞬間を大事にしようと、
決意新たに床につく。



旅の終点まであと5日。

雨色。


どうも2ヶ月おきの更新になっている。
この数日寝込んでいたが、
ようやく8割まで回復。


雨が続く札幌の秋は終わりに近づき、
徐々に感じる冬の気配。
そろそろ晴れて欲しいものだが・・・




ヴェネツィアも雨だった。
8:00にYHを出発し、
サン・マルコ広場
グッケンハイム美術館
サンマルコ寺院
と廻り、
鐘楼の上から雨の街を見下ろした。


これまでに訪れた街では、
駅に着いたらすぐに地図を手に入れて、
地図を片手に歩いていたが、
ヴェネツィアではなるべく地図は見ないようにした。
どうせ見ても迷うと判断。


ただ歩いているだけで楽しい街だった。
なるべく狭い路地を選択して、
適当に歩き続けた。
空がどんよりしている分、
水路の水の緑が際立っていた。


全ての物流が水上バスを使っているため、
物価は高かったものの、
この日の夜は奮発。
調子に乗ってワインもフルボトル空けたため、
€70くらい使ってしまった。(当時は€1=約160円)


旅に出る時は、
晴れの方が良いが、
雨の日は雨の日で。

両極。


秋の夜。
外は雨。
二ヶ月以上の停滞。
良き事、悪しき事、
いろいろあったが・・・



そろそろ次に進まねば、
目的地に辿り着かない。
旅はイタリアへ入国。



8:00YH発。
10:05ニース発。
15:10ミラノ着。
16:05ミラノ発。
19:10ヴェネツィア着。
水上バス乗車。
20:00YH着。


丸々12時間の移動日となった。
列車は3人掛けが向かい合わせになった6人席。
座席が真ん中だったため、
向こう三軒両隣がイタリア人。
イタリア人は数独が好きらしい。


英語が全く通じないことを確認し、
この旅で初めて、語学ガイドブックを開く。
イタリア語で自己紹介。
老夫婦が興味を持ってくれ、
ここからは筆談。


息子がヴェネツィアで建築を学んでいるらしく、
今日はそこまで行くのだという。
結局、YH行きの水上バスまで案内してくれた。


積極的に話しかけた結果、
とても良い時間を過ごす事が出来た。


最近は、曲聴きながら車窓を眺めることも多いが、
やっぱり旅に出る時は、
積極的でありたい。